「ひかりをうけて」 奥村和之ステンドグラス作品集  2021.05.25



今年初めて調律に伺ったお客さまのご子息の作品集です。
贈呈いただいた冊子からお客様の了解を得てその作品をここに紹介したく思います。
奥村和之さんの詳しい情報は下記のサイトで見られます。
http://k-okumura.jp/ 

ステンドグラスの技法については末尾に載っている蒲田正樹氏の下記の説明を参照ください。
「たとえば一般に絵画は絵の具を塗り重ねて表現していく足し算であるのに対し、ステンドグラスはガラス
に塗った顔料を減らしていく引き算の手法が使われる。ほかにも「絵付け」「モザイク」「フュージング」とい
った技法もあるのだが、これらを単独あるいは組み合わせて駆使している若手アーティストは彼以外に
はほとんど見当たらない」

「ひかりうけて いのち目覚め 新しい朝がはじまる」
ニワトリ (W400×h300)



「曙の空を舞う鳥
飛ぶ鳥 (W280×H205)


カワセミ(W250×h225)


「鳥たちは 今日を生き 明日へ向かい 飛び立っていく」
飛ぶ鳥 (W620×H280)



「川面にきらめき躍る魚」
にじいろの魚 (W250×H165)



エトピリカ (W350×H200)


「魚たちは 追いかけっこしながら ゆらりゆらりと 水のなかで遊んでいる」
魚2匹(W620×H345)



「山を越えて 森の奥へも ひかりが注がれる」
森(W300×H300)



はるか遠く 草原を駆けるいのち 水辺に憩ういのり」
サバンナ(W800×H450)



フラミンゴ (W290×H600)


「すぐそばに見つけられる 小さないのち」
トンボ (W450×H450)



カエル (W450×H450)


「みんな生きている 力いっぱい生きている」
レッサーパンダ (W205×H205)



サル (W205×H205)


走るウサギ (W620×H280)


「海にも浜にも 海の底深くにも ひかりが届けられる」
海 (W300×H300)



「海はいのちを育み ひかりはいのちを包む」
水族館 (W590×H400)



南の島 (W500×H350)


「眠らない太陽 眠ることを知らない街」
太陽の塔 (W530×H440)



「スポットライトの眩しさに 楽しいときが照らされて」
木馬(W400×H300)



ジャンプ (W400×H300)
 

トランペッ ト「W400×H305)


「弾ける音に うれしいときが満ちみちる」
ライブハウス (W995×h350)



「いつかこの星を 飛び出して もっと広い世界へ」
ロケッ ト(W610×H450)



「そこには新しい星、 新しいひかりがあるだろう」
宇宙へ(W450×H370)



UFO (W460×H370)


「きっとその日 たくさんのひかりあびて すべて輝く ぼくも輝く」
宇宙旅行(W610×H510)




プロフィール
1987年8月1日大阪で生まれる。2003年都立南大沢学園養護学校
高等部に入学。2006年ステンドグラスアートスクールプロ養成所に
入所し、ステンドグラス古典技法を学ぶ。2009年焼き絵付けガラス
美術研究所(TAO Art Glass)に入所し独自のデザインをステンドグ
ラスで表現すべく研鑽を積む。2014年8月に大阪府茨木市に転居し、
自宅にアトリエを構え積極的な創作活動に入る。同年9月より京都
山科のガラス工芸家・北島哲氏(京都工芸美術作家協会会員)に
師事、また不定期に大阪で和田友良氏(ステンドグラス工房夢窓
屋)の指導を仰ぐ。これまで「さくら作品展」(2004年、2007年、2010
年)、「One Rose 作品展」(2010年、2011年、2012年)、「TAO Art
Glas 作品展(2010年、2011年、2012年)、「月と太陽とオーロラ展」
(2012年)などに出展。また2017年11月東京神保町ブックカフェで、
画家である姉、舞子と二人展「海と森のアート展」を開催。

*奥村和之作品についてのお求めやお問い合わせは
http://k-okumura.jp/ を参照ください。


奥村君とのこと  ガラス工芸家 北島 哲
ちょうど3年前、奥村君は大阪の茨木に引っ越して来ました。いや、引っ越して来たというより実家のある
ところに帰って来たといったほうが良いのかもしれません。  それから、和之君はわたしのところへ通って
来たのです。週に二日、水曜と土曜に来ます。朝から夕方まで一日を過ごします。もう、学校のようです。

わたしはどのように彼と接し、指導していけば良いのかはっきりしたこともわからずの第一歩でした。です
から、彼も何がこれから始まるのか不安だったことでしょう。当然、ステンドグラスを習いに来る、東京で
はすでにステンドグラスの指導を受けていたので、ガラスカット、製図など技術的には心配ありませんで
した。特に古典技法である絵付けの基本的な技術は十分身に付けていました。

わたしの方法は参考になるお手本がないので、「好きなものをすればいい」「自由にすればいい」で、彼
は大海原に放り出されたようでした。自由ほど何をしていいかわからなくなるので、普段の生活の中から
何かテーマを見つけてくれないかと、彼の身の回りに浮輪を投げ始めたのです。それを手にとってくれれ
ば何か動き始めるのではないかと思いました。

「日曜はどこか行った?」「あべのハルカスの美術館に行って来ました」「あ、それから、動物園にも行き
ました」「ひとりで?」「はい!」 あまり、多くを語らないのですが、そのときは、早口で短い言葉ではっき
りと言ってくれます。そんな、何でもない会話からそのときの町のイメージや動物の様子を聞き、簡単な
イメージ図を描いてもらったり、二人での弾まない会話からの始まりです。

彼の記憶はしっかりしていて、行った先の風景などを描き始めました。高等部の修学旅行での北海道の
牧場、家族で行った下関の町並み、新幹線から見た富士山などに自分のイメージを重ねていきました。

つぎに、始めたのは空想の世界です。想像の世界へです。

そこからは、宇宙に向かいました。おおきく火を噴くロケットには和之君が乗っているのです。宇宙旅行
では目を瞑りおおきく手を開いた姿は彼そのものです。もう、大海原ははるか下に見えています。これか
らも、彼はいろいろな想像の世界を飛び回ることでしょう。そして、私たちは和之ワールドからの招待状
を、おおいに待ち望むところです。

奥村和之とステンドグラス  『作品集 ひかり うけて 編集担当(株)ワードスプリング 蒲田正樹』
奥村和之の作品は知的障がいをもっている人特有のユニークな感性に満ちあふれている。傍らで作品
づくりを見ていると、彼は写真や資料を参考にしながらとか、入念に下書きをしておいてということではな
く、脳のどこかに焼き付けておいた映像を、自身のフィルターを通して、ストレートに素直に表現していく。
気に入った芝居のワンシーン、車窓から眺める風景などを一瞬のうちに切り取って、それを頭の片隅に
ストックし温めているのだろう。そして、しかるべきタイミングがきたときに一気に開花させるというわけだ。

作品の多くはどことなくユーモラスであたたかい。もちろん人間だからブラックな一面もあって、それがひょ
いと顔を出しているところがあるかもしれない。でも、月並みな言葉ではあるけれど、どれもがピュアで、
光をうけて、まっすぐな作品である。興が乗ればぶつぶつとひとり言を言い、さらにもっと興が乗れば歌い
ながら楽しそうに作品作りに没頭する。本人が楽しいのだから、仕上がった作品を見る人も自ずと楽しく
なるのである。

彼はいわゆる自己中心の破滅型天才アーティストではない。たとえば、食べることが大好きでほんとうに
おいしそうに美しく食べる。でも自分だけがよければではなく、まわりが自分と同じように楽しんでいるか
を察知、心配りができるやさしい性格の持ち主だ。 やさしいから誰からも愛される。愛されるから、その
作品にも慈愛が満ちてくるのだろう。

「日曜はどこか行った?」「あべのハルカスの美術館に行って来ました」「あ、それから、動物園にも行き
ました」「ひとりで?」「はい!」 あまり、多くを語らないのですが、そのときは、早口で短い言葉ではっきり
と言ってくれます。そんな、何でもない会話からそのときの町のイメージや動物の様子を聞き、簡単なイメ
ージ図を描いてもらったり、二人での弾まない会話からの始まりです。

さて、彼の作品を「障がい者アート」という括りでとらえると、本質を見誤るかもしれない。ステンドグラスと
いっても、一般には、観光などでの体験で色ガラスを使ったアクセサリー作りやその延長にあるランプを
イメージするか、あるいはヨーロッパなどの教会の窓をイメージするかぐらいだろう。しかしステンドグラス
というものはとても奥が深く、素材や手法はひとつではない。

たとえば一般に絵画は絵の具を塗り重ねて表現していく足し算であるのに対し、ステンドグラスはガラス
に塗った顔料を減らしていく引き算の手法が使われる。ほかにも「絵付け」「モザイク」「フュージング」とい
った技法もあるのだが、これらを単独あるいは組み合わせて駆使している若手アーティストは彼以外に
はほとんど見当たらない。

そういう意味では「奥村和之は正統派のステンドグラス作家」でもあるのだ。 もちろん、いろいろな技法
を使ったいろいろな作品があるので、目移りしてしまうのが玉に瑕かもしれないが、彼が本格的な創作
活動に入ってからじつはまだ3年あまり、これからも、いろいろな蕾が開花していく大きな可能性を秘めて
いる。